コンセプト

術とは何か?美術とは何か?
この事は、 人間とは何か? という事と同じであると思っています。
芸術が人間の産み出す精神的な産物だからです。

人間は、何を目的にどこへ進むのかという永遠のテーマ。
そして、芸術、美術の目的は?意味は?
そのことをいつも考えます。

の作品は、分類すれば「リアリズム」という分野に属しているようです。
リアリズムは、日本では「写実」と訳されて、一般には現実世界の状況を在りのままに表す姿勢として、絵画においては視覚的で写真のような「具象絵画」を指すことが多いようです。
しかし、リアルという言葉には「現実」という意味をも含んでおり、精神的な「現実」として、感覚的な表現をも含めればその範疇は、「抽象絵画」までひろがります。
私は、視覚的で現実的な表現方法(写実)によって表される精神的現実の内容を重視しており、その意味では「抽象絵画」なのかも知れません。

術の世界では、精神的現実を表す目的で表現方法と内容を選び取ることが一般的ではありますが、武道や書道のような求道的で「型」から入るものには見かけるように、技や行動(表現方法)から精神に向かうこともあります。
私の場合、最初は表現方法としての「写実」がやりたい事で、写実という表現方法そのものが「型」となって、精神的価値を生み出す原動力になっています。
視覚的な現象をすべて素直に写し取る作業は、その行為に修業的内容を含み、その過程においての精神状況が問われます。
そして、その時々で得た小さな悟りの積み重ねが、私に表現内容とその目的を提示してくれます。そのことが次の作画意図につながってゆきます。

なわち、技を磨こうとする行為が、精神的成長につながり、精神的成長が更なる技を磨かせるという繰り返しになっており、その目的は、平和であったり、調和であったり、癒しであったりします。このことは、「絵画道」とでも言えるものなのかもしれません。
私は、視覚的現実と精神的現実の両面を併せ持つことを表現の柱としていますが、視覚的現象を切り口に、そのモティーフの本質を描こうとする行為は、過去の巨匠たちが求めてきた表現のあり方でもあり、それ自体は新しいことではありません。その意味だけでは、もうすでにやり尽された様にも思えます。
・・・しかしながら、過去の作家達の生み出した名作の数々は、時を越え空間を越えて私を惹きつけてやみません・・・
特に、仏教の仏像や仏画、キリスト教の教会の彫刻や壁画のような宗教的に制作された作品に惹かれます。(それは、私だけではないと思います)仏や神への祈りという姿勢や念いに、空間や時間を越えた人間の求める普遍的な何かの存在を感じます。
私には、そこに「美とは何か」の答えがあるような気がします。

は、単に新しいというだけで「驚く」、「変わった」、「面白い」を、柱とする流行の芸術ではなく、ギリシャ時代を復活させようとしたルネッサンスのように、過去から未来にかけ変わらない普遍的な価値を探究しながら、時代の生き証人として、「現代」というエスプリを効かせた絵画の制作を模索しています。
私の仏や神に対する「感謝」と「祈り」の感情は、まさに「現実」であり、芸術作品の人々に与える影響力を考え、作品が、少しでも人類に役立つことを祈って作画しています。